戸塚伸也+百瀬陽子 二人展
2021年5月10日〜5月18日 ART TRACE Gallery
30cm×30cm 木製パネル・石粉粘土・寒冷紗・ジェッソ・アクリル絵具・油絵具 2020
23cm ×23cm × 23cm 紙粘土、アクリル絵具、油絵具 2019
『不思議な世界ね』 紙粘土・石粉粘土・オルゴール・アクリル絵の具 / 2018
『What A world』 music box, mixed medium / 2018
"Make Love With Gallery" by YokoMOMOSE & Yuu
実家の一軒家は築35年の日本家屋だ。
廊下の隅や隙間などはたいてい闇で、 小さい頃は、電気を消したら絶対うしろをふり向けなかった。
生まれたときから同居していたおばあちゃんが、昨年亡くなった。
プライドが高く気が強いお姫さまのような性格だったけれど、徐々に身体が弱くなり、
最期は穏やかな状態で家族に看取られて亡くなった。
長く病んだ晩年は骨と皮だけで、あちらの世界の住人がこの世に生きているようだった。
私たち家族は背中の曲がった小さな妖精と特別な時間を過ごした。
おばあちゃんはある時から幻覚を見るようになった。
電球の穴から人がいっぱいこちらをのぞきこんで、にぎやかに笑っていたそうだ。
私はよくおばあちゃんの夢を見る。近所の人が幽霊になったおばあちゃんを見たとか、
家族と一緒におばあちゃんがいるけど、それは生前の生き霊だとか言われる夢だ。
亡くなる前日、病室のおばあちゃんは、鼓動を打つことだけを繰り返していた。 瞳孔はもう開いてしまっていた。
私はおばあちゃんの顔をスケッチした。 こんなにまじまじと見つめたことは初めてだった。
もうすぐ途切れる生命を見つめながら、おばあちゃんという人はどういう人だったのか、
私はよく知らなかったことに気づいた。
おばあちゃんと過ごした記憶は鮮明だけど、私が知らなかったおばあちゃんの姿を今は 知ることができない。
一方でおばあちゃんの過去にさかのぼろうとイメージを手繰れば、
私が知っている鮮やかなおばあちゃんはうすれてしまうかもしれない。
ただそこで現れるのはどちらもおばあちゃんで、それはうねりながら存在している。
近くにいるような気がするけど、どこにもいないような気がする。
かとおもえばまたすぐ近くで見てるような気もするし、 やっぱりもうどこにもいないんだとも感じる。
そんな風に、おばあちゃんはまだら模様にうねっていく。
おばあちゃんと過ごした家の柱のしみや扉の隙間には、
ふり向いたらおばあちゃんがいるような気がして、また会えるんじゃないかと時々見つめたりする。
Whereabouts of soapbubbles
Measuring the distance of reality.
The verdure, the transparent light, the heart of a door, a bamboo grove..
a persimmon tree, the feather of a cock, a swing..
Measuring it from behind all of them.
Adults are always right.
I don't have any courage to reach out to reality,
Clinging to my house, an opaque charm sweeps me away,
Being covered by a warm film.
I am under the illusion that my body is filled with lightness
The charm, it comes up to me.
But I am on the point of grasping it,
it dissolves into nothingness.
The viscera of colors remain,
And the light which cannot touch me.
Measuring the distance of reality.
シャボン玉のゆくえ
彼女は現実との遠さをはかっている。
みどりの、透けた光の、山の奥の、飛び石の…
引き戸の闇、竹やぶ、柿の木、鶏の羽、ブランコ…
それらすべてのうしろから。
おとなはいつも正しい。
手をのばせば届きそうな現実に、手をのばす勇気はなく
わたしの家にしがみつきながら、不透明な魅惑に押し流され
あたたかい膜におおわれて、身体は軽いと錯覚する。
魅惑は、こちらに向かってやってくる。
さわろうとしても、つかんだ先から頼りなくにげてゆき、
絵の具の内臓がのこり、
そしてさわれない光。
彼女は現実との遠さをはかっている。